カメハメハとは
偉大なるカメハメハ大王、カメハメハ1世。
カメハメハ1世は1750年ごろ、ハワイ島の北部で生まれました。
かつては、ハワイ島の中でも地域ごとに酋長(しゅうちょう)という人がいて、その酋長がその地域を支配していました。
そしてその地域ごとの酋長が、自分たちの支配下(領土)を広げようと、いつも争いが絶えることがありませんでした。
いつも争いごとが起こって、人々の暮らしは安定していなかったのです。

カメハメハ大王の誕生
カメハメハは、戦いが絶えなかったハワイを統一しハワイ王国の礎を築きます。
カメハメハがハワイを統一出来た理由は、イギリスから大砲などを購入したためと言われています。
当時のハワイは石器文化。
そこに当時の最新西欧文明であった鉄の大砲が持ち込まれたことにより、他の部隊を圧倒したのです。
そしてハワイ王国の基礎を築いたカメハメハは、カメハメハ大王と呼ばれるようになりました。
カメハメハ1世は新しい文化を積極的に取り入れる一方で、年配の酋長などに対しては敬意を表するというバランス感覚に優れた人物であったとも言われております。
ハワイ王朝の誕生
カメハメハはハワイ島を統一した後、マウイ島・ラナイ島・モロカイ島、そしてついにオアフ島を制圧することにより「ハワイ王朝」が誕生することになります。
そして、マウイ島のラハイナ(観光地として有名ですよね)を首都としました。
しかし、カメハメハ大王はハワイ統一から10年弱、1819年にハワイ島のカイルアコナで没しました。
ところで、カメハメハ大王像っていくつあるの?
友人がハワイ旅行に行った際、「ハワイ島であの有名なカメハメハ大王像を見てきたよ!」と連絡がありました。
それを聞いた当時の私にとっては、カメハメハ大王像はオアフ島にあるものといったイメージが強くあったものですから、「へぇ~、ハワイ島にもカメハメハってあるんだな!」といった程度の感想でした。
しかししばらくした後に、「ところでいったいカメハメハ大王像っていくつあるんだ?」といった素朴な疑問が浮かんできました。
そこで調べてみることに。

調べてみると、なんとカメハメハ大王像が4つあることがわかりました(ハワイとアメリカ本土)。
まずひとつめ。
カラカウア王がイタリアの彫刻家に銅像を注文。
パリで作られたその銅像は船でハワイに運んでいる最中に船が沈没してしまい海の底に消えていきました。
しかし鋳型が残っていたため同じ銅像を作り直して無事ホノルルに到着。
イオラニパレスの向かいに設置されています。
そしてその後、海に沈められた大王像が発見されてハワイ島に送られました。
これが二つ目の大王像になります。
三つ目はアメリカ本土にあります。
ワシントンDCにあのダミアン神父とともに飾られています。
そして最後の四つ目ですが、ハワイ島のヒロに設置されています。
この銅像は本当はカウアイ島に飾られるはずでしたが、地元住民の反対によってハワイ島のヒロに設置されたのでした。
以上、なんとカメハメハ大王像は合計4つ存在するのです。
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