ピジン・イングリッシュって何?
Aさん
Mr.ハワイ通
ピジンイングリッシュとは
Mr.ハワイ通
英語と現地の言語が混合した言語を「ピジン英語」といい、英語の“business”が中国語的に発音されて“pidgin”の語源となったとされている(諸説ある)。
~中略~
1898年のハワイ併合によりハワイで英語が普及すると、日系移民の間ではピジン英語(ハワイ・クレオール英語)が話されるようになった。
特にギャンブルで有り金すべてをつぎ込むことを意味する「Go for broke」はハワイの日系2世が多く参加した第442連隊戦闘団がモットーとし、現代では『当たって砕けろ』という意味で通じる。
出典:ウィキペディア
移民たちのコミュニケーション
ハワイ州の英語は「アメリカ本土・イギリスから来た欧米人」と、「日本・韓国・中国・ポルトガル等」から来た移民による影響が混ざり合っているそうなのです。
この異なる母国語を持つ人たちの影響を受けた、新しい英語表現を「ピジン・イングリッシュ」と呼んでいます。
その昔、日本・中国・韓国・フィリピンなどの移民が、サトウキビ農場などで働くためハワイに渡りました。
ハワイにおける移民は、急増するサトウキビ畑や製糖工場で働く労働者を確保するため、1830年頃より始められ、関税が撤廃された1876年以降にその数が増え始めた。
中国、ポルトガル、ドイツ、ノルウェー、スコットランド、プエルトリコなど様々な国から移民が来島したが、日本からやってきた移民が最も多かった。
日本からの移民は1868年から開始され、1902年にはサトウキビ労働者の70%が日本人移民で占められるほどとなり、1924年の排日移民法成立まで約22万人がハワイへ渡っている。
移民の多くは契約期間満了後もハワイに定着し、日系アメリカ人としてハワイ社会の基礎を作り上げていった。
出典:ウィキペディア
サトウキビ農場に色々な国の人が一緒に働いていたのです。
そのような状況ですと、何が起こるのでしょう?
当然のことですが、国が違うのでお互い話す言葉が違います。
それでも農場で働く移民の人達は、仕事中や休み時間などにお互いコミュニケーションをとろうとします。
そんな環境で生まれたのが新しい英語である「ピジン・イングリッシュ」なのです。
今も使われているピジン・イングリッシュの例
ピジンイングリッシュの基本となるのは英語ですが、農場で働くたくさんの国の人たちの母国語が交ざっています。
日本語・ハワイ語・韓国語・中国語・ポルトガル語・スペイン語などです。
当時の日系移民の数を考えると、日本語の影響も強かったそうです。
ピジンイングリッシュの事例
私たちという意味です。
「me達」から来てるそうです。
昔の方は自分たちのことを「私ら」と言いましたよね
あなたたちという意味です。
me raとyou raの2つは、主に日系移民が使っていたみたいですね。
兄弟あるいは仲の良い友達の意味。
Brotherから来てるのでしょうか。
これはいまだにハワイアンの間で使われていますよね。
たとえばあの偉大なミュージシャン「IZ」は今でも「Bruddah IZ」の愛称で親しまれています。
元気?という意味です。
How is it ?(元気?)から来ています。
今でも普通にLoco(地元の人)は使ってますよね。
Local(地元)から来たピジン・イングリッシュです。
Localの発音は「ロゥコッ」ですよね。そこから「Loco/ロコ」になったそうです。
「~とか」、「ほら」という意味です。
英語のThat kind of thing がもとになっています。
サーフブランドの名称にもなっているので、見た事があるのでは。
これは読んで字のごとし、鳥肌という意味。
普通英語で鳥肌はgoose bumpsと言います。
これはまさしく日本からの移民によって作られた新しい英語ですよね。
意味はおばあちゃん。
まさしく日本語がそのまま英語になったパターンです。
Mr.ハワイ通
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