ハワイアン・ミュージックの歴史
ハワイに文字が無かった時代。
その時代は文化や習慣を、歌(mele)や踊り(hula)で代々伝えてきたようです。
このような文化を聞くと、ほんとに素敵だなあと素直に思います。
しかしこの代々続くハワイアン文化、ある時代に少し状況が変わってきます。
1800年代に欧米からハワイに来た白人が、どんどん勢力を広げて行っていたのです。
そしていつしか立場が逆転し、地元のハワイアンよりも欧米から来た白人の方が実権を持ち始めたのです。
その白人の中心は、欧米から渡って来た宣教師。
宣教師に言わせると「フラダンスの動きが卑猥」だったそうです。
フラダンスに嫌悪感を覚えた白人たちは、ついにはフラを踊ることを禁止したのです。
フラはハワイアンにとって大切な文化。
当然ハワイアンたちは大反対だったのですが、武装した白人には歯が立ちませんでした。
しかしこの行為ってどうなんでしょう。
勝手に他人の国にやって来て、権力や土地を奪い、しまいには文化まで奪おうとしたのです。
よっぽど白人の侵略行為のほうが野蛮ですよね。
ハワイアン・ミュージックとカラカウア
しかし時代が流れて、カラカウアが国王に即位すると状況が変わります。
地元のハワイアンとハワイの文化を想いフラを解禁したのです。
そこでようやくフラダンスが復活しました。
おそらくこの時、カラカウアと白人の間では相当な争いもあったのでしょうね。
また、カラカウアは外国からの楽器(ウクレレなど)を積極的に取り入れ、現在のハワイアンミュージックの基礎を作ります。
こうしてゆっくりと時間をかけて、ハワイアンミュージックが再び地元ハワイアンの生活に浸透していったのです。
そして、1970年代頃にはハワイアンミュージックの本格的なブームが起こります。
Gappy Pahinui(ギャビー・パヒヌイ)やThe Makaha Sons of Niユihau (ザ・マカハ・サンズ・オブ・ニイハウ)が活躍しはじめたのです。
この時期は、ハワイアンが自らのアイデンティティやルーツに高い関心を持ち始めた時代。
これをハワイアンルネッサンスと呼んでいます。
そのムーブメントにマッチしたこともあって、ハワイアンミュージックが広がっていったのです。
ハワイアンミュージック・ファンとしては、「カラカウア」「先代のミュージシャン」「現役で活躍しているミュージシャン」に感謝です。
癒しですからね、ハワイアンミュージックは。
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