サーフィンの神様、ジェリー・ロペス。その生き様までがリスペクトです!

ジェリー・ロペス

どうですか?上の写真。

ジェリーロペスがチューブを抜けるタイミングでの写真です。

これだけの波の大きさにも関わらず、リラックスしているジェリー。

ジェリーがスゴイのはこの写真からも分かるような、力を抜いたような自然なライディング!

まさしく波と一体となっているような神技。

自然と調和できる、これぞジェリーロペスなのです。

 

Mr.ハワイ通

もともとサーフィンの神様と言えば、ワイキキにある像で有名なデューク。そして現代のサーフィンの神様と言えば間違いなくジェリーロペスでしょう。

ジェリー・ロペスとショートボード

Gerry Lopez ジェリー・ロペス

ジェリー・ロペス、サーフィンの神様と呼ばれるサーフィン界のカリスマ的存在。

1948年オアフ島のホノルルに生まれます。母親が日系人。

高校を卒業した後、建築士を目指して南カルフォルニアの大学に入学します。

 

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ジェリーの父親はラテン系、一方の母親が日系三世の教師でした。お母さんの影響でジェリーは「イタクラ・ケン」という日本名を持っていました。

 

その頃から本格的にサーフィンにのめり込んでいくようになったジェリーは、もっとサーフィンを深く追求したいと考えハワイに戻ります。

ハワイに戻ったジェリーは、ハワイ大学に入学します。

そしてその頃からスピードやターンを求めて、自分自身のサーフボードをシェイプするようになります。

ジェリーがシェイプしたボードは、今までのサーフボードより短く「ショート・ボード」と呼ばれ世界中に普及することとなります。

ハワイの大きな波でスピードに乗り、鋭いターンを実現し、そしてチューブにも入れるようなサーフボードを開発したのです。




 

サーフブランド「ライトニングボルト」を設立

1972年には自らのサーフブランドを設立。

「ライトニングボルト」という名前は70年代のサーファーにとって憧れのブランドになります。

またその頃にはサーフィンのビッグタイトルである「パイプライン・マスターズに2年連続で優勝するという快挙を成し遂げます。

この功績により、まさしくジェリーはサーフィン界の中心人物となっていきます。

 

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ライトニングボルト。見たことありますかね?雷マークのブランドです。ジェリー・ロペスと仲間たちが「雷」のロゴマークを付けたサーフボードを使い始めたのですが、それが瞬く間に有名になったのです。

サーフィンムービーの名作「ビッグウェンズデイ」

ジェリーロペスは、1970年代に大ヒットしたサーフィンムービーの名作「ビッグウェンズデイ」に出演しています。

映画の中では、ロングボードからショートボードへトレンドが変わっていく様子が描かれています。

まさしくジェリーは、そのような時代の中心人物だったのでしょう。

またその後もたくさんの映画にも出演する活躍ぶりでした。



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ここで名作ビッグウェンズデイの紹介をさせてください。サーフィン映画としてもとても秀逸ですが、当時の悩めるアメリカ社会を反映した社会映画でもある名作です。ぜひご覧になってみてください。

「ビッグウェンズデイ」は、1960年代初めカリフォルニアを舞台とした青春映画。

アメリカが先の見えないベトナム戦争を戦っていた時代。

そんな混沌としていた時代に、サーフィンの世界でもロングボードからショートボードへと時代が変わろうとしていたのです。

主人公のマットはカリフォルニアの有名なサーファー。地元の子供たちの英雄でもあったのです。

しかし彼の乗るロングボードは時代遅れになろうとしていました。

この映画はアメリカが劇的に変化していく様子を、若者とサーフィン、そして多くのアメリカ人が心と身体に傷を負ったベトナム戦争を取り上げその変化を描いていました。

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映画の中でも真のウォーターマン!

そして映画の中で現れたショートボードを操る新星がジェリーロペスでした。

一方の主人公マットは、水曜日にやってくると言われた伝説の大波「ビッグウェンズデイ」にロングボードで果敢に挑戦します。

同じく大波「ビッグウェンズデイ」にショートボードで挑んだジェリーロペス。

そのジェリーがマットに「ウォーターマン」として尊敬するようなまなざしを送っていたのです。

これこそまさしく彼のスピリットを物語っているワンシーン!

時代は変化しようとも変わらぬ素晴らしい物も有ると言うことを印象づけました。

また、ジェリーは早くから自身のライフスタイルにヨガを取り入れます。

自然と共存する彼のライフスタイルは世界中のサーファーの憧れであり、サーフィン界の神様のような存在となっています。

ビッグウェンズデーの後、ジェリーは何処へ

1980年、マウイ島でウィンドサーフィンの楽しさを発見
1973年、オアフ島からマウイ島アップカントリーへ移住
1970年、〈Lightning Bolt Surfboards〉を創立
1977年、映画『ビッグ・ウェンズデー』制作に携わる

その後のジェリーは何処へ!

1980年、映画『コナン・ザ・バーバリアン』でアーノルド・シュワルツェネッガーと共演
1970年、オーストラリアへ
1974年、バリ島へ
1976年、Gランドへ
1992年、オレゴン州ベンドへ移住
サーフィン・アンバサダーとしてパタゴニアに加わる

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現在のジェリーは!?

ハワイのオアフ島ノースショアに位置するパイプラインにおいて、あまりに波と同化した美しいスタイルでライディングすることから「ミスター・パイプライン」と呼ばれていたジェリー・ロペス「Gerry Lopez」(67歳)。

72年と73年にはパイプマスターズで優勝し、パイプマスターの称号に輝いています。実績といった細かい点を抜きにすれば、現代で言う所のジェイミー・オブライエンやジョンジョン・フローレンスといった存在ですね。

サーフィン界のレジェンドであるジェリーは、92年に家族と一緒に米国オレゴン州ベンドへと引っ越し。サーフィンパラダイスのハワイから、スノーエリアのオレゴンへと生活の舞台を移したのです。

オレゴンでは、サーフィンはもちろんのこと、スノーボードに没頭していることは有名な話。また、スノーボード自体を製作したりとクリエイティブな生活を送っているそうです。

そんなジェリーが、オレゴンでリバーサーフィンしているとは意外な事実。すでに還暦を超えたジェリーが、今でもリラックススタイルで波に乗る姿は見ていて嬉しくなりますね。

ちなみに、ジェリーがリバーサーフィンしている場所は、オレゴン州ベンドにあるベンド・ホワイトウォーター・パーク(Bend Whitewater Park)内の川ということです。



ジェリーロペスの生き方とは

日系3世のハワイ人として生まれ、独自のスタイルで華麗に「パイプライン」をライドした第一人者として、世界中のサーファーからリスペクトを集めるジェリー・ロペス。1960年代に若くしてライフスタイルにヨガを取り入れた最初のサーファーでもあり、また、自然をそのままに受け入れたスローライフを実践することでも広く注目される彼は、サーフィンとヨガの結びつきが自分の人生そのものだと語ります。
「パタゴニア サーフ千葉」のグランド・オープニングにあわせて来日し、最近はスタンドアップパドル・サーフィンを楽しんでいると笑顔を見せるジェリー・ロペスに話を聞きました。

ライドを成功させるためにボードを自ら制作

初めてサーフィンをしたのは、自分が10歳で弟が8歳のころ。サーフボードを持って母親が2人をワイキキに連れて行ってくれました。そのときすぐに夢中になり、サーファーとして生きていくことが決まったようなものです。自分のスキルを上達させたくてひたすら海に通い、たしか19歳ぐらいで、ボードを自分で作ってみようと思ったのです。まわりにも自分でボードを作っているサーファーが何人もいましたから。
そもそも1000年以上も前にハワイも含めて太平洋の島の人々がサーフィンをしていたころから、サーファーたちはボードを持って海に行き、波に乗る技術を追求してきました。しかしある地点にまで達すると、そこでいったん技術の上達が止まってしまう。それを超えるために、新しいボードが必要になってくるのです。
どういうバランス感覚で、ボードと波の角度を読み取りながらライドするか。自分が波のライドを成功させるボードを作るには、誰かに頼むよりも、自分でシェイプして、磨きをかけていくのが一番の近道なんです。

パイプラインの特殊な波に合うボードも完成させた

1960年代当時、パイプラインはメジャーなサーフスポットではなく、多くのサーファーたちはサンセットビーチに集まっていました。でも、自分が乗ってみたい波が来ていたし、まあサーファーたちがあまり多くないこともあって、私はパイプラインが好きでした。サンセットビーチにはもちろん大きくていい波がコンスタントに来ますが、パイプラインの長いチューブの波はまた独特です。
そのライドに成功できたのは、あの特殊な波に合うボードを自分で作ることができたからです。シェイパーとしての成功のおかげで、実現したと言っていいのかもしれない。他のサーファーたちも私のボードを参考にボードを作って、パイプラインでのライドを目指すようになりました。
今では世界中のサーファーにとって最もポピュラーで、最もチャレンジングなスポットのひとつでもあるパイプラインも、かつては小さなところだったんです。

頭や身体ではなく、スピリチュアルな高揚感が持続する

チューブライディングに成功すると、もちろん大きな満足感と興奮、「波に飲まれずに死ななかった」という安堵感もあります。しかし、そうしたメンタルとフィジカルの感覚を超えて、スピリチュアルな高揚感のものが生まれるんです。自分という存在のコアの部分で感じられる高揚感です。その持続は、頭や身体で感じるそれよりも遥かに長い。自分のスピリットが吸収したエネルギーに満たされているような感覚です。

サーフィンの上達に必要なものが、ヨガにあった

パイプラインでサーフィンをするために、特別なトレーニングをしたことなどはありません。ただあそこの波を楽しんで、通い続けてサーフィンをしていただけです。波に飲まれてしまわないように、ケガをしないように気をつけながら、ただサーフィンを楽しんでいた。
そんななか、20歳のころにヨガを学び始めました。1968年のことです。ヨガと出会ったとき、ここにはサーフィンを上達するために必要な多くのものがあると感じたのです。身体の柔軟性と強さを作り、集中力と反射神経を高め、自分がボードから落ちて波にワイプアウトされたときにも呼吸を整えられる。気持ちを落ち着けてリラックスする方法も学び、健康的な食生活も送ることができる。サーファーとしてのそれまでのライフスタイルに、すんなりとヨガを取り入れることになったのです。
今では若いころと違って、サーフィンのためだけではなく、ヨガとの関わりはより深いものになっています。自分が何者であって、どのように生きていくか。アーサナなどを続けることだけにかかわらず、毎日のあらゆる瞬間がヨガと結びついていると感じます。

サーフィンが人生のメタファーである理由とは

20年ほど前から、私はオレゴンに住んでいます。雪山では、スノーボードを楽しんでいますよ。サーファーたちは、新しい環境でサーフィンの感覚を体験するために、新しいスポーツをいくつも生み出してきました。道路を滑るスケートボード、風を利用したウィンドサーフィンやセイリング、そしてスノーボード。私はすべてを試してきましたが、どうやってライディングをするかの身体言語や、ターンをするときのダイナミックな体感などは、スノーボードが一番サーフィンと近いと感じています。
しかし、それでもやはりサーフィンは唯一のものであって、他とは代え難い。スノーボードを続けるうちに、改めてそんなことを感じさせられました。
例えば、スノーボードやスキーをするとき、山は動かずにじっとしていてくれます。しかし海に行けば、海がじっとしていてくれることはない。だからサーフィンが生命や人生のメタファーとなるのです。波をとらえてスムーズにフローしていくと、人生の本質を教えられます。人生は動き続けていて、そこで自分も動かなければ成長していくことはできない。サーフィンを知ることで、自分がどうやって生きるかを考えることができるのも大きな魅力のひとつです。