そもそもカラカウアとは

ハワイのメインストリート、そこは「カラカウア通り」と呼ばれています。

いつもたくさんの人が行き交っている、ワイキキのメインストリートです。

私もこの通りの雰囲気が大好きなので、気がつけばいつも何往復もしています。

ワイキキビーチ沿いを散歩してカピオラニ公園まで行ってみたり、モアナサーフライダーに立ち寄ってちゃっかりラナイの椅子に座ってくつろいでしてみたり、そのほかロイヤルハワイアンセンターやカラカウア通り沿いのいろんなお店をのぞきながらいつものんびり歩いています。

このようにワイキキ滞在中、頻繁に利用するのがここカラカウア通りなのです。

ところで、この通りの名前になっているのがハワイ王国最後の国王David Kalakaua(デヴィッド・カラカウア)。

じつは王様の名前を通りの名前にしていたのです。

カラカウア、ハワイ最後の王様

そしてカラカウアがいつの時代の王様かと言いますと、日本では明治時代の初期の頃にあたります。

その時代の王様だった人なのです。

日本が明治時代、その頃はまだハワイはハワイ王国だったんですね。

しかしカラカウアの時代のハワイは、国の舵取りが難しい時代でした。

だんだんとハワイ王国が幕を閉じよう動き出している頃です。

当時のハワイは外国人勢力(白人勢力)に圧倒されており、今にも支配されそうになっていたのです。

カラカウア王はハワイ王国・ハワイアンを白人勢力から守るため、必死に色々な対策を考えました。

その手段のひとつとして、カラカウアは日本を味方につけようとしました。

カラカウア、日本に目を向ける!

そしてハワイ王国と日本の皇室とで縁組を結ぼうと計画したのでした。

実際にカラカウア王は日本に来日し、明治天皇と会っています。

そこで皇室同士の縁組をして、日本とハワイで同盟を組むことを願い出ました。

姪のカイウラニを皇室に嫁がせようとしましたが、カラカウア帰国後に皇室より丁寧な断りの手紙が送られて来てこの話しは立ち消えてしまいました。

ハワイと日本。

同盟を組んでいたら、今頃どうなっていたのでしょうね!

<ハワイの国王とその家系>
カメハメハ (King Kamehameha)
カラカウア(David Kalākaua)
リリウオカラニ(Lili’uokalani)
エマ女王 (Queen Emma)
パウアヒ王女 (Princess Bernice Pauahi)

1874年2月12日-1891年1月20日在位。

こちらもご参照ください。<カラカウアとは