ダニエル・イノウエ、新しいホノルル空港の名前に!

ダニエル・イノウエ

1924年(大正13年)アメリカ合衆国ハワイ州ホノルルで生まれたダニエル・イノウエ。

もともと日系人として「超有名人」であったダニエル・イノウエですが、2017年4月27日にホノルル国際空港の正式名称が「ダニエル・K・イノウエ国際空港(Daniel K. Inouye International Airport, HNL)」と改正されることによって、一躍その名前がクローズアップされるようになりました。

空港名の変更によって、ハワイ好きの日本人にとっても「最も有名な日系人」となっていくことでしょう。

何年かして「ハワイで有名な日系人は?」の質問に、ほとんどの日本人が「ダニエル・イノウエ」と答えるようになるのでしょうね。

ダニエル・K・イノウエ国際空港(旧ホノルル国際空港)の変遷

ハワイ・オアフ島の玄関と言ったら、何と言ってもホノルル国際空港です。
そしてこの慣れ親しんだ空港の名称がダニエル・K・イノウエ国際空港に変更になりました(2017年4月27日)。
時間が経つと、いづれは自然とダニエル・K・イノウエ国際空港の呼び方がしっくり来るようになるのでしょうね。
しかし長年のハワイファンとしては、すこし違和感を感じるのでしょうか。

しかしご存知でしたか?
この空港名、ホノルル国際空港の前はジョン・ロジャース空港という名称でした。ちなみにこの空港が出来たのが1927年、まだ戦前の事なのですね。
そしてこのジョン・ロジャースという名前は、カルフォルニアからハワイへ横断を成功させた海軍パイロットの名前なのです。

時代はまだ空路より海路での旅が主流の時代。
この頃のハワイは船の発着場であるあの有名な「アロハタワー」がオアフ島の玄関口となっていました。
またこの時代は、まだ旅客用の飛行機が飛んでいなかったため、ジョン・ロジャース空港の規模もとても小さなものでした。

そして1935年からアメリカ本土からパンアメリカン航空が就航します、これをキッカケに今まで船でハワイに渡っていたのが主流でしたが、少しづつ空路が発展していき始めるのです。アロハタワーがオアフ島の玄関口でしたが、それがだんだんとホノルル空港(ダニエルイノウエ空港)にその座を奪われていきました。
そしていよいよ空路でハワイを訪れる観光客が多くなり、空港の整備が進み、1947年その名もホノルル国際空港へと変わりました。

なぜダニエルKイノウエの名前がついたの?

ダニエルイノウエさんの兵士として、政治家としての活躍は有名ですが、ホノルル国際空港が改名されダニエルイノウエさんの名前が命名された理由としては、施設が古くなった空港を再整備すると共に、ホノルル空港の発展に必要な予算確保に貢献したことが大きく影響しているものと思われます。

ダニエル・K・イノウエ国際空港の概要

ダニエル・K・イノウエ国際空港は、国際線とアメリカ本土線の発着を行う国際線ターミナル、ハワイアン航空のハワイ島やマウイ島などのハワイ各島を結ぶ線やアメリカ本土線、国際線の発着を行うインターアイランドターミナル、アイランドエアーとモクレレ航空が島間線の発着を行うコミューターターミナルで構成され、1階が到着ロビー、2階が出発ロビーになっています。

空港からワイキキへの移動(ツアーバスを利用)

旅行会社主催のツアーに参加している方には、旅行会社のバスでワイキキまで移動します。またツアー料金には、ワイキキまでの交通費が含まれています。
ハワイに到着した時と帰国の際のワイキキ地区から空港への移動については、このバスを利用することが出来ます。
仮にこの旅行会社のバスを利用せずに、ハワイに着いたらレンタカーで行動したいという方もいらっしゃいます。このようなリクエストがある場合は、事前に旅行会社に「離団書」という「ハワイに着いたら単独で行動します」といった覚書を提出しておく必要があります。

空港からワイキキへの移動(レンタカーを利用)

空港からレンタカーを利用する場合、税関を通過した後に個人用の出口より表に出ます(団体出口ではありません)。] 空港から出ましたら、レンタカー会社の巡回バスが走っていますので、そのバスに乗ってレンタカー会社に向かいます。
レンタカー会社の場所は様々で、国際線ターミナルから徒歩5分のハーツ、バジェット、エイビス、ニッポン、またはシャトルバスでないとアクセスが難しいダラー、アラモなどがあります。

空港からワイキキへの移動(ザ・バスを利用)

もっともリーズナブルな交通手段ではありますが、旅慣れた方以外はおススメしません。空港からワイキキまでの料金も2.5ドルと1番リーズナブルでお得ですし、バス停も空港ターミナルにありますのでとても便利。
しかし一点ご注意を。
ザ・バスにはスーツケースのような大きな荷物を持って乗ることが出来ませんのでご注意ください。

空港からワイキキへの移動(タクシーを利用)

数人のグループで利用すればそれほど高い料金にならないのがタクシー。
タクシーはハワイに慣れていない方にとっては一番便利な手段かもしれません。ワイキキまでの料金は約$40、所要時間が約20~30分で到着です。乗車料金に15~20%程度のチップを払います。
また、運転手にキャリーバッグなどの荷物を出し入れしてもらった場合もバッグひとつにつき$1のチップを渡しておくと良いでしょう。

ダニエル・K・イノウエ国際空港からネイバー・アイランドへ

ハワイ島、マウイ島などネイバー各島へは、国内線に乗り換えます。まずは、国際線ターミナルで入国審査を受けて荷物を受け取り、税関を通過。
その後、利用航空会社によって、インターアイランドターミナル、または、コミューターターミナルへ移動してチェックインします。

ダニエル・イノウエの経歴

ホノルルに育ち、ハワイ大学マノア校に進学したダニエル・イノウエ氏ですが、そのハワイ大学在学中に日本による真珠湾攻撃が行われました。

そこでダニエル・イノウエ氏はアメリカ軍に志願し日系人部隊であるあの有名な第442連隊戦闘団に配属されることになります。

第442連隊戦闘団は日系人の部隊として大変有名でたくさんの「日本人観光客」にも馴染みのある方々が志願しました。

☆こんな方々が志願しておりました。
チャールズ・ヒガ(Charles Higa) ジッピーズ創業者
リチャード・ミヤシロ(Richard Miyashiro) Cafe100創業者 ロコモコ発祥のお店
セイジ・アヤコ、イフク(Seiji,Ayako Ifuku) レインボードライブイン創業者

ダニエル・イノウエの凄いエピソード

ダニエル・イノウエ氏は戦火の中、敵に手榴弾を投げ込もうとしたところ、ドイツ軍兵士が発射した弾が右腕に命中したことにより右手を失うという大事故がありました。

しかしその時のエピソードがスゴイ!

敵のドイツ兵に襲撃されたその時、ダニエル・イノウエ氏は腹と右肘を撃たれて右腕を失いながらも、左手で手投げ弾を投げつけて相手を倒したと言われています。

すごいエピソードですよね。

終戦後ダニエル・イノウエ氏がハワイ議会の議員に当選した時のこと。

アメリカ初の日系人議員として話題になりましたが、ダニエル・イノウエ氏が議会へ初登院をした時のこと、議長がいつもの通例通りに「右手を挙手して宣誓の言葉を続けてください」と言った時、ダニエル・イノウエ氏が左手を挙げざるをえなかったという話しも有名です。

その後下院議員を務めた後の1963年から50年近くにわたって上院議員に在籍した重鎮なのです。

あのオバマ元大統領もリスペクトした人物

アメリカ国民にリスペクトされたダニエルイノウエ

ちなみにオバマ元大統領はダニエル・イノウエ氏の影響で政治家を目指したと言われています。

ダニエル・イノウエ氏の葬儀では、当時なんとオバマ大統領、バイデン副大統領、クリントン元大統領、リード上院議員(民主党上院院内総務)など民主党の大物が出席しました。

その時、オバマ大統領はあいさつで「イノウエ氏は私に最初の政治の道へと進むきっかけを与えてくれた」と語り、そして「米国は真の英雄を失った」と追悼文を発表しました。

また長年親交があったバイデン副大統領は「未来の世代は、イノウエ氏から国家への献身の精神や、公共への奉仕を学ぶだろう」と述べ別れを惜しみました。

ダニエル・イノウエ氏、最後の言葉は

ハワイの顔となったダニエルイノウエ。ダニエル・K・イノウエ国際空港へ!

ハワイ移民のである祖父から“ギム”と“メイヨ”というふたつの言葉を忘れるなと言われて、その二つの言葉を重んじていたダニエル・イノウエ氏。

88歳でその生涯を閉じたダニエル・イノウエ氏、死の直前最後に語った言葉は「アロハ(さようなら)」でした。